Kiyoko Oyama for Omani
1935年、大山清子は神戸のダンスホールで、オマーンの当時の国王タイムールに求婚されます。大山清子の母親は、当時国際結婚にはまだ抵抗感が強くあり、条件として「日本に永住する」というものを出します。もちろん母親は、オマーンの国王とは知りません。タイムールは、国王の座を捨ててでも大山と結婚したいと来日し、そのまま結婚。母親は、その時初めてタイムールがオマーン国王だったということを知るのでした。
そうして大山は、日本人で初めてオマーン人になった人物となりました。結婚後も円満に暮らし、2年後に娘を産みながらも、残念ながらその2年後に夭逝された大山清子さん。23歳の若さでした。その娘が、オマーンのブサイナ王女です。現国王の叔母にあたる最も位の高い女性の1人ですが、国民の前に姿を見せることなく沈黙を守り続けているため、現地ではその存在すらほとんど知られていないのだといいます。
オマーンは、東日本大震災で日本に多額の義援金を支援してくれたことで、大変話題になりました。今日の日本と中東の関係性の構築に、大山の存在は大変大きかったものと言えます。
彼女が生きた証をたどりながら、思いをはせる訪日の旅に出たいと思いませんか。当社が計画し、サポートさせていただきます。特にオマーン、中東の皆様、ご注目いただければと思います。