富裕層マーケティングビジネス独り言第8章「Before and After 1945」
セブンシーズの社長時代に正装のパーティ、「ソワレ・セブンシーズ」を年に1,2回主催させていただきました。素晴らしいパーティのひとつであったと今でも思います。今からですと、12年前になるでしょうか。その後亡くなった義理の叔母をグランドハイアット東京で実施したソワレ・セブンシーズに誘ったことがありました。義理の叔母が終了後に一言。「久しぶりだわ。懐かしいわ、この感じ」
「?」義理の叔母が戦前に経験したパーティもそのようなものだった、と。戦前からの富裕層、ラグジュアリーを知っているんですね。義理の叔父が戦前に南満州鉄道(満鉄)の幹部をしていたことから当時は意外と欧米型のラグジュアリーパーティに一緒に参加したようです。本人も含め社交ダンスもマスターしている人が多かったようで、日本にもそのような時代があるにはあったのだな、と感じさせられた瞬間でした。映画「杉原千畝」にもパーティシーンが意外と出てきますしね。
さて、日本における欧米型のラグジュアリーは1945年を境にして乖離が始まったというのが私の持論です。Before1945の思い出話はafter1945の日本のアイデンティティーの形成を考える上で重要な示唆に富んでいます。例えば義理の叔母の特徴を一言で言うと、「自分フィルターを持っていた」ということで、戦前からの富裕層に共通する強い傾向だと思います。ほかの人の言うことはしらん。が、迷惑をかけることはしない。絶対の自信があるのでしょうね。一般的には頑固ととらえられがちですが。。富裕層は自分なりの価値観を持っている、とよく書物でみますが自分なりの価値観というよりは自分の人生への絶対の自信といったほうが適していると思います。
かっこつける必要は別に感じない、という空気感の中で生きているのだ、と。After1945世代として十分に理解しておく必要がある話です。自分で選ぶ。依存は原則しない。笑われても全く動じない。「一度は人に笑われるような話でないと独創的などと言えるはずがないよ」。Windows95発売後のビル・ゲイツ氏の一言です。After1945世代が学ぶべきは自分への絶対の自信なのでしょう。